2012年12月25日火曜日

序章Ⅰ <7>

 暖かいものが唇に触れていた。


頬にかかるものがくすぐったいので、
おそるおそるに目を開いたアエンに、
サファイアが微笑みかけていた。

ルドルフの髪が頬をくすぐり、
今まで触れ合っていた唇は、何か言いたげに動きかけたが、
すぐにまた口付けによって塞がれた。

雪の上に、横たわっていた。寒くはない。
なぜか、腹の辺りがひどく熱かった。

「……ルドルフ……」

何か言おうとしたが、なんと言えばいいのかわからず、
アエンは黙ってルドルフを見つめていた。

ルドルフは、アエンの首筋にぬくもりを探るように顔をうずめて、
そっとその頭を抱きしめた。

「あなたは……何者だったんだ……?」

アエンの問いかけに、ルドルフは小さく首を振り、
そして顔を上げた。

「ファロウは正しかった」

「……?」

「お前を守るためには……お前を生かすためには、
私を殺す必要があった」

ルドルフが何を言っているのか、
アエンには理解できなかったが、ルドルフ自身にも、
アエンには到底理解できるわけがないという、諦めの色があった。

「私はね、アエン。……人々は私を不幸と呼ぶよ。
そしてまた、幸福とも」

「……」

「たしかにそうなのだと思う。
しかし私自身は、ただの虚無の塊なのだよ」

そう言うルドルフの瞳があまりに悲しいので、
アエンは柔らかく抱き寄せた。
頬に冷たい感触がして、また雪が降り始めたと知った。

「もう……いい」
「アエン……?」

「あなたが何者でも、
あなたと過ごした時間は何にも換えられないし、
私は誰よりも幸福だったと、言えるから」

ルドルフが一つうなずく。
アエンは、そっと吐息して、眠気が迫ってくるのを感じた。

寝てしまうわけにはいかないと思ったが、
急速に引きずり込まれるように、眠りに落ちてしまった。



 ルドルフは、アエンの腹からナイフを引き抜き、
ゆっくりと立ち上がった。

息絶えたアエンの姿は、あまりにも美しく、
血の紅は、どこまでも穢れなく、
ああ、まるでお前そのものだと、ルドルフは目を細めた。

夜着を羽織っただけの体に、雪が降る。
ルドルフは、ナイフを握り締めたまま、
一歩、また一歩と歩みだしていた。

不意に振り返り、見上げた先の窓に幻を見る。

いや、どちらが幻なのかはわからない。
ルドルフは、窓の向こうからこちらを見ているアエンに微笑みかけ、
おもむろに手にしたナイフで、首筋を掻き切った。


 鮮血が噴出し、純白の雪を染めていくのを、
ただ衰弱した太陽が見守っていた。


おわり

2004/11/12  Asami Kamio


(2006年2月22日発行 個人誌より転載)

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