2012年12月18日火曜日

序章Ⅰ <5>


アエンを探して温室に入ったはずだった。

ファロウはその場に満たされた、
あまりに濃厚な薔薇の香りに脳内を冒されていくのを感じていた。

まるで麻薬だと思った。

アエンを探している本来の理由がぼんやりとなる。
足がどんどんバカになる。

ぐるぐると回転するような視界で、こちらを振り返った者があった。
突如として温室に据えられたベッドの上に座った、金髪の麗人が。

「誰だ?」

彼が誰何した。
ファロウは答えず、ふらつく足で歩み寄った。

『アエンをどこにやった』
「アエン……?」
『答えろ、アエンはどこだ』

悪魔め。

低い呟きが、ルドルフを恐怖に陥れた。

その細く白い喉から、空気を切り裂き、
全てを悲しみの底に叩きつけるような、
あまりにも悲痛な叫び声が迸った。

 「出ろ」
眼球の奥を刺す光に、目を細める。
「……もういいのか?」

「全ては終わった」

いかめしい制服に身を包んだ警官が、手を差し伸べていた。
地下牢の床に長いこと蹲っていたので体中が痛い。
アエンはその手をとって、立ち上がった。

「それでも私はギルティなのかな」
「いや、それはない」

「無罪の人間をこんなところに監禁するには、
いささか理由が不完全だったことだしね」

アエンは、一つため息をついて、「まあいい」と言った。

「結局、国家権力が私をギルティとした理由は何だったんだい?」
「元老院関係者の血統であったあなたが、
解散計画に加担するとはどうしても信用できなかっただけだ」

「なるほど、それで隔離したわけだね。
……まあ、結果として事態は解決したわけだ。
役に立ったと理解しておくよ」

「ご協力感謝する」

アエンは、差し出された自分のステッキを乱暴に受け取って、
肩をすくめる警官の脇をすりぬけ、早足に歩き出した。

暗闇の中で、いくつもの幻を見た。
その全ては、ルドルフの形をしていたが、
どれもルドルフではなかった。

……怒っているだろうか。
突然拉致されたので、ファロウにすら連絡が出来なかった。

元老院関係のことで動いていた彼なら、
あるいは初めから知っていたやも知れぬが。

アエンは、馬車に乗る前にふと背後を振り返った。
……誰かに呼ばれた気がした。

(……気のせいか)

風が大きくアエンのマントを膨らませた。

アエンは目を閉じて風が過ぎ去るのを待ち、
収まったころにもう一度後ろを見て、馬車に乗り込んだ。


 家に着くと、馬車を降りるアエンに、マリアが駆け寄ってきた。

「だんな様!」
「マリア……」

マリアは、ほつれてしまった髪を押さえながら、
アエンの前で一礼した。

「警察からは昨日電報が届きましたわ。
大事ございませんか?」

「ああ、大丈夫。……一種クーデターだったんだ。
多少の犠牲はやむをえん」

「すぐにおやすみになってください。
お食事もご用意しますから」
「……ありがとう。温室にいるよ」

 今すぐに、あなたに会いたい。
アエンは、はやる気持ちを抑えながら、温室に向かった。




扉を開けると、薔薇の香りに包まれた。
アエンは、マントを脱ぎ、ステッキを置いて、歩き出した。

心地よいお気に入りの場所なのに、何かそぐわない。

ふと手近の薔薇を見ると、どこか元気なく萎れていた。
アエンの心に、大きな不安が波紋のように広がり始める。

「……ルドルフ?」

空中に、問う。
アエンは初めて、温室の中に人の気配がしないことに気づいた。


つづく


(2006年2月22日発行 個人誌より転載)

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