2012年11月20日火曜日

序章Ⅰ <1>


「ルド?」

声をかけると、温室のベッドでうたた寝をしていた麗人が目を覚ました。
まだ半ば夢の中にいる青い瞳が、アエンをとらえて小さく微笑む。
薔薇の香りに満たされたガラス張りの温室は、ルドルフのお気に入りだった。

「やっぱりここにいたね」

ルドルフは軽く伸びをして身を起こす。
それをさりげなく助けて、アエンはベッドに腰掛けた。

「屋敷にあなたがいなくても、探し回る必要がない」
「お互い様だろう」

ルドルフの言葉に、まったくそのとおりだと思う。
二人ともこの温室が大好きだったし、
何より……二人は互いを探すまでもなく、気づけば傍にいた。
会いたいと思えば、不思議と目の前にいる。
それを不思議と思わなくなるほどに。

「……お茶を飲む?」
「いや、いいよ。そこにレモネードがあるから」
「持ってこよう」

アエンがベッドを立ち、テーブルの上の水差しからレモネードを注ぐ。
ルドルフは、その姿を見つめながら、ふっと笑った。
アエンの黒髪は、ガラスからもれてくる陽光にすけて茶が混じる。
通った鼻筋、少し伏せられた瞳は、
覗き込めば吸い込まれそうにどこまでも深い黒で。
それを縁取るまつげは長く、切れ長の瞳を飾っていた。
ルドルフの視線に気づいたアエンが、顔を上げる。

「何?」
「……いいや」

アエンは、口元に困ったような笑みを刻んで、
ルドルフの下にレモネードを運んだ。
受け取る瞬間、触れ合う指先。
仕事を終えて離れるその指を追いかけたくて、こらえるのに苦労した。
アエンがその手で入れたレモネードを口に含み、
ルドルフは目を閉じた。
心地よい清涼感が、のどを滑り落ちていく。

「マリアがまた文句を言っていたよ」

アエンが面白がるように言った。
空になったグラスを受け取り、再びレモネードを注ぎながら。

「私のことか?」
「そう。ルドのせいで、私に女性が寄り付かない。
この家ももう終わりだろうとね」

レモネードを飲み干し、
アエンは出逢ったころよりだいぶ短くなってしまった髪をかきあげた。

「寄り付くはずがないんだよ。私は元来女性に興味がないことだし……」
「果たしてそれだけかな」
「……違うだろうね」

アエンは、小さく悪戯に笑った後で、真顔になった。

「私は……もう無理だよ、ルド」
「うん?」

「私の心には、もう何も映らないのだからね。
あなたでいっぱいなので、
もう……そう、私はもうあなた以外瞳に映したくないくらいだ。
私のすべての時間を、あなたのためだけに捧げたいんだよ、ルドルフ」

ルドルフは、アエンのほうへ手を伸ばした。
気づいたアエンがその手をとる。そっと、口付けた。

「最近の私は怯えてばかりいるよ……」
「何に怯えることがある?」
「いつか……あなたが……」
「いなくなる?」

アエンがうなずく。

「ありえないことだ、アエン。私はここにいる。
お前が求めるなら、求めるだけ」

「わかってる。ただ不安なんだ。
だけれども、私はこの不安を抱えていればこそ幸せだ。
あなたのいない時間の恐怖を知っているから、
一緒にいる時間を大切にできる」

ルドルフは、反対の手でアエンの手を包み込み、引き寄せた。
それを合図に、アエンがその体をベッドに押し倒す。
ルドルフの首筋に、顔をうずめる。
空気を飲んで上下する喉仏に唇をよせ、
左手で器用にボタンを外していった。

「アエン……」

吐息のように名を呼ぶ唇をふさげば、
そこからあふれだす激情に、二人は決して逆らえない。


つづく


(2006年2月22日発行 個人誌より転載)

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