2012年11月27日火曜日
序章Ⅰ <2>
「男娼?」
「ああ。だから色々大変だ。特に家の者をごまかすのがね」
ワイングラスを傾けながら、アエンは少しばかり遠い目をした。
「でも、正直夢のようでもあるよ。
彼が私の元に留まってくれるとは思わなかった。
本当に、渡り鳥といおうか、蝶といおうか……
ひとところに留まる種の人ではないからね」
「あるいは、お前の元にいるのもきまぐれか……」
「その可能性はある」
「……愛しているんだな」
ファロウの言葉に、アエンは目だけで微笑した。
<中略>
冷たい指が頬に触れる感覚で目を覚ました。
「……ルド……?」
思わずつぶやいた言葉に、怪訝そうな茶色の瞳が覗き込んでくる。
「『ルド』?」
「……あ、ああ……何だ……」
ファロウだった。
「疲れているな。早く帰ったほうがいい」
「そうもいかない。……結局、元老院は使い物にならんか」
帰る様子のないアエンにため息をついて、
ファロウは小さくうなずいた。
向かいのソファにゆったりと座る。
「ここまで汚職が広がれば、あるいは……解散もやむをえんだろう」
「解散か……」
もっともらしい発言をしながら、うまく頭が機能しない。
アエンは、こめかみを押さえて目を閉じ、眉間にしわをよせた。
「……アエン?」
「ん?」
「大丈夫か?」
ファロウの言葉に、苦笑する。
大丈夫、というのはたやすいが、
そう聞かれるということは、大丈夫に見えないということだ。
「帰る気がないなら泊まっていくといい。客室が、今日はフリーだ」
「……泊まる……?」
「? ……忘れたのか? 私の家だ。
今日は二人で話を整理しようという約束だった。
朝方お前が来て、書類を作った。
食事をしながらこの前飲みに行った時の話しの続きをして、お前が落ちた」
「……今、何時だ?」
「じき日没だ」
アエンは窓の外に視線を投げ、そうか、とつぶやいた。
「帰るのが怖いよ」
ファロウは身を乗り出しかけてやめ、背もたれに背中を押し付けた。
「時々考えるんだ。帰りの馬車なんかでね。
帰ってあの人がいなかったら、とか、
たとえば待ちくたびれて眠るあの人を見て、
今息をしていなかったらとか……」
「考えすぎだ」
「多分ね。けれど、あの人と共にすごすほどに、失う恐怖もまた大きくなる」
「……」
「あの人と出逢ってから、毎日泣いているよ」
言いながら、アエンは涙をこらえるように目を閉じた。
「愛しすぎて……涙が止まらない」
「……アエン」
「そんな気持ちになったことはないかい?」
アエンの言葉に、ファロウはふっと笑って「いや」と首を振った。
「私には……ないよ」
ファロウが言うと、アエンは不意に儚げな笑みを浮かべ、ソファを立った。
「帰るよ。あまり外泊していると怒られるからね」
「彼にかい?」
「ああ。それと、マリアにも」
主人よりも強い権力を持った老女中の顔を思い出して、
ファロウは笑い、ソファからアエンを送り出した。
つづく
(2006年2月22日発行 個人誌より転載)
2012年11月20日火曜日
序章Ⅰ <1>
「ルド?」
声をかけると、温室のベッドでうたた寝をしていた麗人が目を覚ました。
まだ半ば夢の中にいる青い瞳が、アエンをとらえて小さく微笑む。
薔薇の香りに満たされたガラス張りの温室は、ルドルフのお気に入りだった。
「やっぱりここにいたね」
ルドルフは軽く伸びをして身を起こす。
それをさりげなく助けて、アエンはベッドに腰掛けた。
「屋敷にあなたがいなくても、探し回る必要がない」
「お互い様だろう」
ルドルフの言葉に、まったくそのとおりだと思う。
二人ともこの温室が大好きだったし、
何より……二人は互いを探すまでもなく、気づけば傍にいた。
会いたいと思えば、不思議と目の前にいる。
それを不思議と思わなくなるほどに。
「……お茶を飲む?」
「いや、いいよ。そこにレモネードがあるから」
「持ってこよう」
アエンがベッドを立ち、テーブルの上の水差しからレモネードを注ぐ。
ルドルフは、その姿を見つめながら、ふっと笑った。
アエンの黒髪は、ガラスからもれてくる陽光にすけて茶が混じる。
通った鼻筋、少し伏せられた瞳は、
覗き込めば吸い込まれそうにどこまでも深い黒で。
それを縁取るまつげは長く、切れ長の瞳を飾っていた。
ルドルフの視線に気づいたアエンが、顔を上げる。
「何?」
「……いいや」
アエンは、口元に困ったような笑みを刻んで、
ルドルフの下にレモネードを運んだ。
受け取る瞬間、触れ合う指先。
仕事を終えて離れるその指を追いかけたくて、こらえるのに苦労した。
アエンがその手で入れたレモネードを口に含み、
ルドルフは目を閉じた。
心地よい清涼感が、のどを滑り落ちていく。
「マリアがまた文句を言っていたよ」
アエンが面白がるように言った。
空になったグラスを受け取り、再びレモネードを注ぎながら。
「私のことか?」
「そう。ルドのせいで、私に女性が寄り付かない。
この家ももう終わりだろうとね」
レモネードを飲み干し、
アエンは出逢ったころよりだいぶ短くなってしまった髪をかきあげた。
「寄り付くはずがないんだよ。私は元来女性に興味がないことだし……」
「果たしてそれだけかな」
「……違うだろうね」
アエンは、小さく悪戯に笑った後で、真顔になった。
「私は……もう無理だよ、ルド」
「うん?」
「私の心には、もう何も映らないのだからね。
あなたでいっぱいなので、
もう……そう、私はもうあなた以外瞳に映したくないくらいだ。
私のすべての時間を、あなたのためだけに捧げたいんだよ、ルドルフ」
ルドルフは、アエンのほうへ手を伸ばした。
気づいたアエンがその手をとる。そっと、口付けた。
「最近の私は怯えてばかりいるよ……」
「何に怯えることがある?」
「いつか……あなたが……」
「いなくなる?」
アエンがうなずく。
「ありえないことだ、アエン。私はここにいる。
お前が求めるなら、求めるだけ」
「わかってる。ただ不安なんだ。
だけれども、私はこの不安を抱えていればこそ幸せだ。
あなたのいない時間の恐怖を知っているから、
一緒にいる時間を大切にできる」
ルドルフは、反対の手でアエンの手を包み込み、引き寄せた。
それを合図に、アエンがその体をベッドに押し倒す。
ルドルフの首筋に、顔をうずめる。
空気を飲んで上下する喉仏に唇をよせ、
左手で器用にボタンを外していった。
「アエン……」
吐息のように名を呼ぶ唇をふさげば、
そこからあふれだす激情に、二人は決して逆らえない。
つづく
(2006年2月22日発行 個人誌より転載)
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